蔡鉦宇選手は昔から日本に高校野球をテレビで鑑賞し、
甲子園に憧れていたようです。
台湾では日本の高校野球が普通に放送されているので、
台湾の球児の中でも、甲子園は憧れの土地のようです。
蔡鉦宇選手は台湾の高校でも野球部で活動をしましたが、
すぐに日本の高校に留学したみたいです。
台湾でも蔡鉦宇選手は、
中学時代に台湾先発の中軸を担うなど、
実力は確かだったみたいです。
蔡鉦宇選手は言葉の壁などを乗り越え、
光星のチームメイトと溶け込み、
厳しい練習にも耐えて、チームに必要な存在となるのです。
そして、2014年の春に、
光星学院は選抜甲子園に出場するのです!
蔡鉦宇は規定によって春しか出場できなかった

蔡鉦宇選手は、編入してすぐの1年の秋に、
光星のベンチ入りメンバーとなって、
監督もチームメイトからも信頼されていた。
言葉のストレスで体重が激減することもあったらしいが、
みんなの支えで、少しづつ環境が良くなっていったという。
春の甲子園に出場した蔡鉦宇は、
5番とクリーンナップを担い、
優勝候補の横浜相手に3安打。
ベンチでは誰よりも声を出し、
監督からはムードメーカーだったと太鼓判を押された。
チームは2回戦で姿を消すが、
夏に再び甲子園に出場する。
しかし、蔡鉦宇は、
高校野球の規定にとって、
夏の大会には出場できなかったという。
その規定とは、
「日本高野連の大会参加者資格規定 第5条の(5)で、参加選手は高等学校在籍3年以下のものと定められている。例えば、1年時に中途退学して翌年あらためて第1学年に入学した場合は、在籍2年目と見なされる。蔡は台湾の高校でプレーした時期があり、八戸学院光星と合わせて現在3年目。今春以降は4年目となるため、今大会後の公式戦には出場できない。」
という内容のもの。
しかし、監督は、
少しでも蔡鉦宇に、
仲間たちのそばにいてほしいと、
ボールボーイに蔡鉦宇くんを抜擢。
最後の甲子園で光星学院は、
ベスト8まで進んだという。
試合が終わった最後、
ボールボーイをしていた蔡鉦宇くんも泣いていたと。
最後の監督やキャプテンの言葉の中でには、
蔡鉦宇くんを想った思いやりのある言葉があり、
蔡鉦宇くんは高校球児らしく号泣。
台湾は日本の兄弟だと言われていますが、
野球を通じた親交も、もっと深めてほしいです。
蔡鉦宇くんのように、
国籍は関係なく、才能のある選手が、
日本の甲子園に登場してくれれば嬉しいです。
現在の蔡鉦宇選手は、
拓殖大に所属しており、
早くもチームで必要なポジションにいるようです。
この先も、日本で長く野球を続けてほしいですね!]]>