かつてPL学園にいた天才球児・阿知波重尚さん。
松井稼頭央さんと同世代にあって、全盛期のPL学園を語る上で欠かせない存在です。
現在でも古くからの高校野球ファンから「阿知波はもったいなかった」と言われるほど、甲子園ファンの記憶に強く残る存在です。
阿知波重尚(PL学園)の凄さ「入部3ヶ月でレギュラー獲得」
阿知波重尚さんは西武からメジャー、帰国後は楽天で活躍し、現在は2軍で監督として活躍されている松井稼頭央さんと同世代の選手です。
松井稼頭央さんはプロ野球の世界でトリプルスリーを達成し、さらには魅力的な守備でファンを沸かせました。
全盛期の松井さんは今でいう山田哲人さんにダイナミックな守備を足したような選手でありました。
そんな松井稼頭央さんは高校時代(PL学園時代)も、当然凄まじい選手でした。
その稼頭央さんが「自分よりもすごかった」と語ったのが阿知波重尚さんです。
阿知波重尚さんの凄さは松井さんが入学した当初から。
なんと阿知波重尚さんはPL学園野球部に入部してわずか3ヶ月でレギュラーを獲得したのです!
これは清原さん以来の偉業だったそうです、当時の中村監督も清原レベルの選手を扱うように阿知波重尚さんと向き合っていたそうです’。
阿知波重尚は右投げ左打ちショートの立浪2世
松井稼頭央さんと阿知波重尚さんの世代は、清原世代、立浪世代よりも下です。
春夏連覇を成し遂げた偉大な両世代の選手たちですが、阿知波重尚さんはたった一人でその両世代の要選手のステータスを持ち合わせていたのです。
まずは1年ながらも入部してすぐにレギュラーを獲得したこと。これは清原さん以来の衝撃です。
そして、右投げ左打ちのショートストッパーとしてチームの中心的な選手であったこと。これは立浪さんを彷彿とさせる立ち位置です。
当時はPL学園はもちろん、高校野球ファンからも「立浪2世」と呼ばれていました。
阿知波さん1年時のPL学園のベンチ入りメンバー(1991年当時)
1年生当時は松井稼頭央さんは控え投手です。阿知波さんのすごさがジワジワと伝わります。
投 三浦 一矢3
捕 大原 周作3
一◎松岡 淳3
二 今岡 2
三 深瀬 悟3
遊 阿知波重尚1
左 小川幸一郎3
中 坪井 智哉3
右 今沢 保幸3
控 吉田 幸三3
〃松井 和夫1
〃藤田 裕二3
〃山岡 直人3
〃竹村 忠雄3
〃石原 昭一3
〃新島 珠英2
〃古川 岳幸2
阿知波のPL学園時代の打順(スタメン)
1年からレギュラーを獲得した阿知波選手ですが、ゲームの中ではどんな立ち位置の選手だったのでしょうか?
「どうせ1年だから下位打線で送るバッティングが基本だろ」と思われますが、実はそんなことはありません。
まず、阿知波さんの1年生の頃の起用は「2番・ショート」です。まさかの2番!
確かに1年の頃の阿知波さんは進塁打になるチームバッティングが基本でしたが、2塁打などの長打もバッチリ打ちまくり、チームの得点の中心にいました。
さらには2年生の頃は「1番ショート」の切り込み隊長。チームトップの打率を誇り、PL学園の得点源となっていました。持ち前の俊足を飛ばした圧倒的な走塁も魅力でした。
そして3年生の頃の阿知波さんは「3番ショート」!立浪3世の最終形態完成ですね。笑
2塁打、3塁打の長打を打ちまくり、走っても快速を飛ばして高校生離れした走塁を披露。
ちなみに守備は1年の頃から抜群の才能を見せていました。
まさに「消えた天才」だったと思います。
ただ、甲子園にはあまり出場できていません。当時のPL学園にしてはおとなしい世代とだと思われがちです。
阿知波&松井稼頭央世代・PL学園の戦績
天才的な阿知波さんと、その後にプロ野球の世界で天才と讃えられた松井稼頭央さんが在籍してた時代のPL学園。
意外と1度しか甲子園に出場を果たしてません。
夏の甲子園に至っては1度も出場してない・・・。
この次の世代の福留選手世代は幾度も甲子園に出場してるのですが。
1年春
1回戦・PL学園4-1交野
2回戦・PL学園9-0工芸(7回コールド)
3回戦・PL学園2-1成器(9回サヨナラ)
4回戦・PL学園2-4浪速
1年夏(地区予選敗退)
1回戦・PL学園14-0高槻(6回コールド)
2回戦・PL学園11-0河南(6回コールド)
3回戦・PL学園8-1鳳(7回コールド)
4回戦・PL学園15-4泉州(6回コールド)
5回戦・PL学園4-7泉尾
1年秋
2回戦・PL学園8-0西成(8回コールド)
3回戦・PL学園6-3吹田
4回戦・PL学園10-0科学技術(5回コールド)
5回戦・PL学園10-0桃山学院(6回コールド)
準々決勝・PL学園13-1大商学園(6回コールド)
準決勝・PL学園4-6上宮
3位決定戦・PL学園4-2桜宮
1年秋の近畿大会
1回戦・PL学園2-0栗東
準々決勝・PL学園3-1神戸弘陵
準決勝・PL学園1-3上宮
1年春選抜(初めての甲子園)
1回戦・PL学園14-1四日市工
2回戦・PL学園3-1仙台育英
準々決勝・PL学園0-2東海大相模
2年春
1回戦・PL学園10-3四条畷(7回コールド)
2回戦・PL学園11-2三島(7回コールド)
3回戦・PL学園14-0門真(5回コールド)
4回戦・PL学園6-1東海大仰星
5回戦・PL学園8-4大阪
準々決勝・PL学園12-1金光第一(6回コールド)
準決勝・PL学園5-4泉州
決勝・PL学園3-2上宮
2年春の近畿大会
1回戦・PL学園6-1滝川二
準決勝・PL学園7-1北嵯峨
決勝・PL学園5-4比叡山(9回サヨナラ)
2年夏(地区予選敗退)
2回戦・PL学園6-0上神谷
3回戦・PL学園5-1大体大浪商
4回戦・PL学園1-2大商学園
2年秋
2回戦・PL学園10-1西淀川(7回コールド)
3回戦・PL学園11-1淀商(6回コールド)
4回戦・PL学園2-3大阪学院(延長10回サヨナラ)
3年春
1回戦・PL学園19-3島本(5回コールド)
2回戦・PL学園16-0旭(5回コールド)
3回戦・PL学園9-2和泉(7回コールド)
4回戦・PL学園10-0花園(5回コールド)
5回戦・PL学園4-5大阪桐蔭
3年夏(地区予選敗退)
1回戦・PL学園5-0東住吉工
2回戦・PL学園8-1上神谷(7回コールド)
3回戦・PL学園11-4桜宮
4回戦・PL学園10-1関西創価(7回コールド)
5回戦・PL学園7-2初芝
準々決勝・PL学園4-1箕面学園
準決勝・PL学園6-2市岡
決勝・PL学園3-6近大付
阿知波さんは青山学院大学に進学するも中退(理由)
PL学園の主力として1年から活躍した阿知波さん。
甲子園へは1度しか出場してませんでしたが、才能が認められて野球の強い大学から誘いがあったそうです。
「当時のPL学園は甲子園で結果を出さなくても良い大学に行けたのか?」と言いたくなりますが、それは阿知波さんが特別なだけだと・・・。
阿知波さんは青山学院大学に進学されました。
1つ上の世代では後にソフトバンク、メジャー、ロッテで活躍された井口さんがいました。
大学でも主力級の活躍をし、プロ野球の世界でもスター選手として活躍する・・・と多くの高校野球ファンは信じていましたが、ある日突然、阿知波さんは青学を退学してしまいます。
退学の理由に関しては詳細がないですが、「申し訳なさ」という触れを聞いたことがあります。
真相は「消えた天才」にて放送されます。
阿知波重尚の現在。退学後も社会人として立派に!
青学を退学してしまった阿知波さんですが、その後はルイヴィトンで働いたりしてたそうです。
2005年からは阿知波新聞店を開業し、個人事業主として活躍されてます。
その他にもミネラルウォーターの配達、古紙の回収、地域情報発信など多くの事業を手掛けてそうです。
常葉菊川の町田さんもそうですが、消えた天才は大概は社会人になっても行動力がありますね・・・。
また2014年からは地元の球団中日ドラゴンズの新応援団に就任して、新しい野球応援の形を模索してるようです。
現在の阿知波はマスターズ甲子園で活躍?
高校野球のOBのための「マスターズ甲子園」。
PL学園はエゲツないOBが多いので、毎年良い成績を残します。
かつてはPL学園に在籍してた阿知波さんも参加されているそうです。
OB会ではハイポジションに就いているので、PL学園ファミリーの中でも人格が認められ信頼されてる証拠ですね!
阿知波(PL学園)の経歴・プロフィール
名前:阿知波 重尚(あちわしげひさ)
生年:1975年生まれ
出身地:愛知県知多市
身長:174㎝
体重:65㎏
投打:右投げ左打ち
学歴:PL学園ー青山学園大学中退