北海道の高校野球の大御所・佐藤茂富さんが死去されたそうです。
6度の甲子園出場と、多くのプロ野球選手を輩出。
高校野球の監督としては非常に人格者でありました。
佐藤茂富監督(砂川北&鵡川)の経歴
名前:佐藤 茂富(さとう・しげとみ)
生年月日:1940年7月16日
出身地:北海道三笠市生
出身高校:岩見沢東高
出身大学:道学芸大札幌校(現・道教育大札幌校)
ポジション:投手
指導歴:栗山高にて指導者の道へ。
1971年に砂川北高の監督となり春1度、夏2度の甲子園出場。
1997年鵡川高へ赴任すると春3度の甲子園出場。
2012年夏からは総監督として指導。
2014年に勇退。
佐藤監督の三氣野球の現在
佐藤重富監督は、
元気・本気・一気をテーマに掲げた、
「三氣野球」を指導信念としてました。
具体的には、「究極の全力疾走」や「打ち勝つ野球」など、超攻撃的なスタイルを確立させました。
バントはほとんどさせなかったと考えると、現在の高校野球のスタイルに近い野球をしていたことになります。
池田高校と常葉菊川の良い部分を寄せ集めたような野球ですね。
バントをすれば有利に働く場面でも強打に出て、その結果負けても選手を褒めるという、見ていて気持ちの良い監督でした。
監督としては6度の甲子園出場を果たし、4人のプロ選手も育てるなど50年以上に渡って高校球界を盛り上げました。
共に戦った相手から好かれることが多く、これまでにライバルであった相手と交友関係を続けるという、人として魅力的なエピソードが多く残っています。
今の監督は人格が優れていても、結局は勝つことが大切だったりするので佐藤監督の魅力は絶大です。
勝負を捨ててでも信念を貫く昭和親父らしい姿、今後は他の高校の監督さんでも良いので見てみたいですね・・・・。
追悼コメント
池田剛基「お前程度が教えても、お前程度の選手しか育たない」と厳しい激励をもらった。「今の自分があるのは先生のおかげとハッキリ言える」
横山泰之専務理事「豪快な方だった。いつかはと思っていたが、あまりにも急すぎる」
高草木穣(石狩南野球部監督)「佐藤先生の精神は今でも色あせないし、無くしてはいけない」
小野寺大樹氏(現・滝川西監督)「お風呂の入り方から『人間教育とは』を教わった。別れるのはつらい。もっと見て欲しかった」
鬼海(現鵡川監督)「頭の処理が追いつかない。僕にとっては父を亡くしたような思い」
佐藤氏の死因は「腸管感染症」
佐藤監督の死因でもある「腸管感染症」ですが、その中にも感染の仕方がいくつかあるようです。
(1)アメーバ赤痢
(2)カンピロバクター感染症
(3)コレラ
(4)サルモネラ感染症
(5)ノロウイルス感染症
など、代表的に5つの感染パターンがあるようです。
佐藤監督が具体的にどのような感染をしていたのかは公表されていません。
既に近親者だけで葬儀を終えたそうです。
11月2日には教え子たちの有志による「お別れの会」が開催される予定のようです。
きっと多くの高校野球関係者と、元プロ野球選手が駆けつけることでしょう。
勇退されて何年経っても称えられる高校野球の監督というのは、非常に魅力的な職業です。