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阿知波重尚(PL学園)消えた天才出演。大学で野球辞めた理由[松井稼頭央世代]画像前に常葉菊川の町田くんが出演して大好評だった「消えた天才」シリーズ。

高校野球には凄まじい才能を持ちながらも、プロに進まず普通の仕事を選ぶ方が多くいますね。

1990年代の頭から1年生ながらPL学園でレギュラーとして活躍していた阿知波重尚さんも「消えた天才」の一人です。

過去に元PL学園の方が自身のブログの中でPL学園での生活についで綴ってましたが、その中にもやんわりと阿知波さんと松井稼頭央さんの世代の凄まじさについて触れられてました。(その彼は3つ下の福留世代)

阿知波重尚さんは町田くんと違って、ネット上に動画がアップされているわけではないので、若い世代の方はピンと来ないかもしれません。

阿知波重尚(PL学園)が「消えた天才」に出演!

今回、阿知波さんが「消えた天才」に出演するということで、放送前から凄まじい反響があります。

プロの世界で天才として名を馳せた松井稼頭央さんが「自分よりも凄い」と豪語するほどの逸材なのですから!

実際にプロまで行って活躍された方が本当の天才だと思いますが、少なからず、高校生の段階では松井さんよりも阿知波さんの方が上手だったのかもしれません。

KKコンビ以来の逸材として紹介され、さらには当時の中村監督は清原さんを1年生として迎え入れた時と同じ気持ちで阿知波さんのことを扱っていたことを告白されてます。

または「立浪2世」とまで言わしめた存在なのですから、そりゃ気になります。

実際にPL学園時代の阿知波はどんな選手だったのか?何が凄い?

松井稼頭央さんはPL学園に入学してすぐに阿知波さんの才能に面食らったそうです。

実際に1年の頃の松井さんは背番号2桁の控え投手。一方の阿知波さんは背番号「6」を獲得し、1年生ながらレギュラーだったのです。(1年でPLベンチに入る松井さんも充分にやばいです)

阿知波さんは1年の頃から2番ショートとして活躍。バント技術もありますが、普通に打率も高く得点に多く絡んでいました。

2年では1番ショートして活躍。ハイアベレージで春選抜でも大活躍でした。この頃に松井稼頭央さんもエースとして出場してました。(正ショートはあくまで阿知波さん)

3年では3番ショートとして活躍。かつての立浪さんを彷彿とさせるプレーで球場を沸かせました。

守備も良ければ走塁も打撃も良い。そして人間的にも信頼されていたというパーフェクトな球児だったみたいです。

ただ、甲子園には2年の春選抜の1度のみ。名前が全国区にならなかったのはそのせいですね。

阿知波&松井稼頭央世代が大成しなかった理由

立浪さんばりの天才・阿知波さんに、あの松井稼頭央さんが在籍しながらも1度しか甲子園に行けなかったとは信じられません。

彼らが地区予選で負けてしまった理由には周囲からのプレッシャーと、ライバル校の追撃があったそうです。

当時のPLは清原さん、立浪さんの世代から「春夏連覇」という形で良いバトンを受け取っていましたが、先輩たちが偉大すぎてプレッシャーがすごかったようです。

または大阪全体(というより全国?)が「打倒、PL学園!」を掲げており、PL学園の主力選手に特化した戦略で挑まれ、地区予選から苦戦を強いられたのです。

しかし、皮肉にも阿知波&松井世代が終わった後の福留世代ではプレッシャーから解放され、以前のPL学園のように幾度も甲子園で大暴れすることができたのです。

なんて可哀想な境遇、悲しい世代なのでしょうか・・・。(阿知波世代)

阿知波氏の「消えた天才」の見所は大学で野球を辞めた理由

今回放送される「消えた天才」での阿知波さんの回の見所ですが、

それは「青山学院大学を退学した理由」です。

桑田真澄、清原和博のKKコンビを育てた名将・中村順司氏は、「桑田、清原と同じく1年生から期待していた選手」「当時の関係者から(天才)には野球で教えることがないとよく言われていた」と当時を回想。1年生でのレギュラー獲得は異例と言われる当時の“最強PL”の中で、中村氏は、「1年生の清原に背番号3を与えた心境と同じだった」と、その才能を称えた。

しかし、天才は高校卒業後、大学に進学するものの、すぐに野球部を退部し表舞台から姿を消した。そこには、野球人生で初めて直面した葛藤があったという。

番組では、その真相を追跡取材する。松井氏自身が20年ぶりに再会し、野球を辞めるに至った真相を聞く。天才が語った当時の思いに、松井氏は絶句。初めて明かされる天才の葛藤とは。引用元:Yahoo!ニュース

これは、今までに語られてかなった部分なので、その部分に注目してみると良いでしょう。

現在の仕事などに関してはすでにネットで情報が書き込まれているので、そこまで重要ではないです。

このブログでは阿知波さんが大学で野球を辞めた理由を、番組からリアルタイムで追記していきたいと思います。

阿知波氏の現在は実業家

阿知波さんは青学を辞めた後はルイヴィトンなどに勤めて、普通の社会人らしい生活を送ります。

そして2005年には自身で「阿知波新聞店」を開業し、実業家として動き出します。

自身の新聞社では中日新聞を扱ったりしてるみたいです。

当時は後輩の福留さんが中日に在籍してた時代なので、何か親和性があったのでしょうか?(単純に阿知波さんが愛知出身なだけだと思いますが)

また新聞の事業だけでなく、古紙の回収、ミネラルウォーターの配達、地域情報の発信など事業を広めていったそうです。

現在リアルタイムで何の事業そメインでやられているのかはわかりませんが、その部分も番組をリアルタイムでおって追記していきたいと思います。

ちなみにマスターズ甲子園にはPL学園OBとして出場し、しっかりと活躍されてるようです。

阿知波さんはPL学園OB会の中でも上の存在のようで、現在でもPLファミリーの中心にいるようです。

さらには2014年からは中日ドラゴンズに新応援団の副団長に就任し、新しい野球応援の形などを考えたりしてるそうです。(チャンステーマの「お前」事件に絡んでる?笑)

阿知波重尚(PL学園)のプロフィール・経歴

名前:阿知波 重尚(あちわしげひさ)

生年:1975年生まれ

出身地:愛知県知多市

身長:174㎝

体重:65㎏

投打:右投げ左打ち

学歴:PL学園ー青山学園大学(中退)

職歴:ルイヴィトンー阿知波新聞店開業ー古紙回収、ミネラルウィーター配達、地域情報発信など事業を拡大。

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