菊池雄星の父・雄治氏死去。花巻東高校時代の伝説と佐藤涼平と大谷翔平
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今年からメジャーのシアトル・マリナーズでプレーしている菊池雄星投手のお父さん・雄治さんが、昨日2019年3月31日に死去されました。

菊池雄星さんのお父さんといえば、花巻東高校への進学を後押ししたという、彼の野球人生の中でも大きな存在です。

お父さんの雄治さんは子供に対して「何事も無駄にならない」という考えの元、様々な習い事をさせ、子供の才能と情熱を見比べ、最終的に野球の道へ歩ませたのです。

菊池雄星の父・雄治氏死去

菊池雄星の父・雄治氏さんはもともと学生時代はバレーの選手でした。菊池雄星の高身長も父の遺伝のようです。

子供の頃から雄星選手に新体操、バレーボール、水泳、ピアノ、書道、そろばん、絵画など、多いときで8つ以上の習い事をさせていたそうです。

野球に関しても。元々は数ある習い事の中の1つでありましたが、本人がどんどんのめり込んで行くことで、その道に特化させ、目一杯に応援したのです。

小学校3年生から地元の見前タイガースで野球を始め、花巻東高校への進学も後押しし、花巻東高校時代は父母会の会長も務めました。

花巻東高校は、中学生時代の東北選抜の仲間達が「一緒に花巻東にしよう」ということで、地元のスター選手がこぞって一緒に進学、東北では敵なしのチームとなりました。菊池選手のお父さんも凄いですが、他の選手の家族の協力もすごいですね!

また、菊池選手がメジャーに挑戦する際にも、多くの国内残留の意見がありながらも、本人の決断を尊重したのです。

菊池選手の声明では、

「本日、かねてより病気療養中であった父・菊池雄治が永眠いたしました。生前、父は私に野球に専念し、そのままチームの勝利のために頑張って欲しいと言っていました。私は父の願いに敬意を表し、全力で頑張り、残りのシーズンを父に捧げたいと思っています」

と、亡き父に残りのシーズンでの覚醒を誓いました。

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菊池雄星の高校時代の伝説

岩手出身の菊池雄星選手は見前タイガースで野球を始め、中学では盛岡東シニアでプレーしました。

中学時代の選抜で一緒になった仲間たちと共に花巻東高校に進学。当時、全国的ではなかった同校を全国屈指の名門に名を馳せたのは、その当時のメンバーたちの力です。

菊池投手は高校1年から試合に出始め、1年から夏の甲子園に出場しました。初戦では敗退しましたが、1年生投手ながらも145キロの球速を記録し話題となりました。

2年時には球速を149キロまで伸ばしましたが、春も夏も惜しく甲子園には出場できませんでした。

菊池雄星世代が甲子園で暴れたのは2009年の春選抜と夏の選手権です。

菊池投手は春の時点で152キロの球速を記録。堅守と好走塁、細かい作戦で効率に点を稼ぐなど、魅力的な野球で高校野球ファンを魅了させました。

最終的には東北勢初の選抜優勝が見えてましたが、決勝では長崎の清峰に1−0で惜しくも敗れました。

あいさつを終えベンチに戻ったナインは、たまらず号泣した。中前打にバントヒットと、気を吐いた佐藤涼平(3年)は「悔しい。(菊池)雄星が頑張ってよく投げてくれたのに」と涙声で叫んだ。ナインのおえつがしばらく止まらない。引用元:日刊スポーツ

菊池投手の力投に答えられなかった野手陣が悔しがるなど、最後までチームとしての気持ちの強さを見せました。

夏の甲子園では球速MAXをを154キロまでに伸ばし、その相変わらずな成長力にファンを驚かせました。

夏の甲子園では春でも活躍した佐藤涼平選手が相手をかき回し、クリーナップの強打で菊池投手を助けました。

大瀬良(元広島)擁する長崎日大、今宮健太(現ソフトバンク)擁する明豊高校と、華やかにチーム相手に辛くも勝利を重ね続けましたが、準決勝では背中の痛みの影響で先発できませんでした。

準決勝の中京戦では4回からマウンドに立ちましたが、相手打線に捕まり敗退。それでも背中の痛みを押してチームのために投げた菊池投手に拍手喝采でした。

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菊池雄星と佐藤涼平と大谷翔平

菊池雄星の高校時代を支えたのは当時の同級生メンバーでしたが、特に印象に残ったのは佐藤涼平選手です。

身長わずか155センチながらも抜群のバットコントロールと走力・守備力でチームに貢献しました。

右投左打のスペックにファールで粘る打撃。実は後に甲子園で問題になった千葉翔太選手よりも先に彼のプレーが注目されていたのです。(佐藤選手のファール打ちは問題になりませんでした)

佐藤選手は生まれつき肺が弱く、生後3か月で「ぜんそく」7か月で「川崎病(動脈に炎症が起こる病気)」と幼いころから病気と闘っていました。小学生のころに、父親を42歳の若さで亡くす。甲子園に出場した際は、父の前でいいプレーができるようにと遺影をベンチに飾っており、グローブには「恩返し」の刺繍を入れるなど、そのハートフルな姿が見ている人の胸を打ちました。

しかし、そんな彼も大学時代に色々とあり、自ら命を絶ってしまいました。

菊池雄星選手はすぐに声明を発表し、その後に「涼平が天国から見ているという思いで投げたい」とプロの奮起を誓いました。

当時はまだプロで上手くいってなかった菊池投手。実際にその後から着々と活躍を見せ、日本球界を代表する投手に成長しました。

現在、メジャーで活躍する大谷翔平選手など、その後に菊池投手に憧れて花巻東高校に進みました。あの菊池・佐藤世代の奮闘があったからこそ、現在の甲子園でも勝てる花巻東高校があるのです。

ちなみに大谷翔平さんは、プロになった後も菊池投手を意識していたそうです。現在は二人ともメジャーで同じア・リーグ西地区なので対戦の機会が増えるので楽しみですね!

菊池雄星投手と大谷翔平選手を育てた花巻東の佐々木監督のメゾットはその後にメディアにも取り上げられ話題となりました。

亡くなられた佐藤選手は、当時から佐々木監督に憧れて、体育の教師を目指して日本体育大学に進学していました。

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