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岡田龍生監督(履正社)の経歴(出身高校・年齢・息子)。無能や謹慎今年2019年の夏の甲子園は岡田龍生監督率いる大阪・履正社が大暴れした年でした。

かつての履正社と言えば、地元・大阪にて大阪桐蔭とライバル関係にあり、なかなか桐蔭の壁を越えられませんでした。

しかし、今年は大阪の地区予選から桐蔭よりも大きな話題を集め、勝ち進んだ甲子園大会でも打線が大爆発し、結果的に優勝を果たしました。そして、全国的に話題となりました。

岡田龍生監督が完成させた今年の履正社野球部の威力は凄まじく、大阪桐蔭の西谷監督に負けじと指導方法などが注目されています。

かつては野球では無名校であった履正社高校を名門へと育てた岡田監督は、どのような経歴を辿り、今の履正社野球部を作ったのか。

岡田龍生監督(履正社)の経歴。出身高校・大学・社会人

名前:岡田龍生(おかだたつお)

生年月日:1961年5月18日

年齢:58歳(2019年8月22日現在)

出身地:大阪府

出身高校:東洋大姫路高校

出身大学:日本体育大学

社会人:鷺宮製作所

担当教科:保健体育

少年時代は野球少年だったみたいですが、中学時代は意外にもバレー部で、キャプテンだったそうです。

高校に進んでもバレーをしようか悩んだそうですが、自分の身長をコンプレックスに諦めたそうです。結果的にもう一度野球をしようということで、再び野球をすることに決めたそうです。

当時、神奈川の名門・東海大相模が大ブレイクしていた時期。岡田監督も進学しようと悩んでいたそうですが、当時から原辰徳氏が大学に進むにつれで原監督も大学に行ってしまうと知って「高校野球は監督が変わってはいけない」として東海大相模への進学を止まったそうです。

ちなみに中学生の時点で岡田監督は原監督に手紙を送っていたそうです。その行動力もすごいですが、当時から高校野球の監督に対して憧れがあったのかな?と思わせるエピソードです。

まだ中学生だった頃から、高校野球の監督に対して自分なりの意見を持っていたのはさすがです。当時から指導者としての資質があったのかもしれませんね!

東洋大姫路高校時代の岡田監督は1年生からベンチ入り。中学時代はバレーに明け暮れてた生徒だったのに、これはかなりの快挙だと思います。

岡田監督は2年の秋から主将を務め、3年の春には選抜大会に出場し、ベスト4の結果を残しました。

高校球児だったことは1番サードとして活躍されていました。

大学は日本体育大学に進学。大学でも4年生の頃のキャプテンを務めてます。

学生時代から人をまとめるのが上手い子だったようです。

大学を卒業した後は鷺宮製作所にて社会人野球を経験されています。野球選手としてはそこまで名前は大きくありませんでしたが、後に地元大阪の桜宮高校にて監督に就任。(1985年)

今では履正社の監督として名を馳せました。

岡田監督の家族は?嫁と子供(息子)

結婚や子供の情報はありませんでしたが、年齢的も結婚してるでしょうし、子供もいることでしょう。

甲子園の優勝監督になったということで、今後は岡田監督の私生活の部分も脚光を浴びると思います。

それでも岡田監督の感じだと、自身の家族に関して具体的に言及するとは思えませんが・・・。

個人的な予想だと、家では厳しい教育パパなのかも?

岡田龍生監督が無能と言われた時代

岡田監督が履正社の監督に就任したばかりの時は、部員はなんと11名しかいなかったそうです。まともな練習は週に2回しかできない状況だったそうです。

就任して2年目からスポーツ推薦で部員を集められたそうですが、当時は有望な選手はなかなか集まらなかったそうです。

89年に上宮高校に勝利。さらに97年にはスモールベースボールを駆使して、初めての甲子園出場を果たします。

当時は大阪代表なのに小さな投手、バントばかりの攻撃。スモールベースボールで大阪大会を奮闘する姿は衝撃的でした。

しかし、甲子園ではなかなか上には行けず、心ない声もあったそうです。

さらには厳しすぎる環境の中、謹慎処分を受けてしまったこともあったそうです。

履正社が過去にスパルタ教育で謹慎処分に

現在ではゆとりある野球を持ち味にしてる履正社ですが、過去にはスパルタだった時代もあったみたいです。

その時代に、一度だけ岡田監督は謹慎処分を受けたことがあったそうです。2002年のことでした。

その期間の苦悩があったからこそ、現在の伸び伸びとして履正社の野球が完成したのです。

今では「ゆとり教育でも甲子園へ行ける」と豪語するまでに変化しました。

岡田監督の指導法と書籍「教えすぎない教え」

自主性を大切にし、なおかつ打撃練習では常に走者を置いて、実践に近い感覚で練習させています。

選手個人に自分の課題を見つけさせるためにも、試合のイメージを強く持たせる練習が多いようです。

過去には「教えすぎない教え」という本を出し、多くの高校野球ファンから高評価を受けていました。

インタビューから岡田龍生監督の人柄が再評価?

現在の履正社は「やらされる練習」ではなく、選手個人が自主的に考える「やる野球」が持ち味になっています。

過去のスパルタ指導による謹慎という失態を糧に、岡田監督は考え方を大きく変えたのです。

今では野球の技術的なことだけでなく、人間として大切なことを教えられる監督として評価を受けてます。

岡田監督のちょっとしたインタビューの中でも、選手にとって手本になりそうな暖かい言葉が多くあります。

やはり、野球しかできない子供を作ってはダメなんですね!

お母さんが元女子プロ野球選手だった!

これは岡田監督もずっと信じてなかったみたいですが、実は野球を始めた原点である母が元女子プロ野球選手だったのです。

子供の頃からキャッチボールの相手はお母さんで、母は常に「元プロやから」と言っていたそうです。

岡田監督は半信半疑だったそうです。

「今から考えても、キャッチボールが上手な母でしたね。ただ、元プロというのは、ずっと嘘やと思っていた。ええかげんなこと言ってるなあと思ってました」とコメントされてます。

大人になってからテレビの企画の中で知ったそうです。

事実だと知ったのは履正社の監督に就任してからだった。朝日放送系「探偵ナイトスクープ」の取材で「私は昔、あなたのお母さんとプレーしていた」という女性が訪ねてきたのが、きっかけだった。当時の写真が展示されているというので東京ドーム内の野球殿堂博物館の女子野球に関する展示を見たところ、集合写真の中に母を見つけた。

「名前も載ってないけど、写真ですぐ分かりました。下の娘とそっくり。誰が見ても、おばあちゃんでしたね」引用元:Yahoo!ニュース

今では自分がプロ野球選手を育てる立場となっているので、なんとも不思議な境遇ですね!

常勝軍団を作った岡田監督を育てた母なので、きっと野球人としても素敵な方だったのでしょう!

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