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寺原隼人が引退。日南高校時代の逸話と現在まで(年俸推移・通算成績)日南学園で当時甲子園最高球速を誇った寺原隼人投手が引退を発表されました。

多くのプロ野球球団を渡り歩いた苦労人となりましたが、各球団でそれなりの働きを見せました。

寺原隼人がついに引退!その理由は?

今年で35歳になった寺原隼人投手ですが、いろんなチームを渡り歩き、非常に苦難が多いプロ野球人生に見えました。

最後に所属していたチームはヤクルトとなりました。

今季は新天地のヤクルトで「拾っていただいた。恩返しがしたい」と復活を目指したが、登板は先発した4試合のみ。シーズン序盤の体調不良もあって2勝1敗、防御率6・19と思うような成績を残せなかった。7月4日に出場選手登録を抹消されて以後は2軍調整が続いていた。

寺原は2002年に宮崎・日南学園高からドラフト1巡目でダイエー(現ソフトバンク)に入団。横浜(現DeNA)、オリックスを経て13年に復帰したソフトバンクを昨オフ戦力外となり、今季ヤクルトに移籍した。引用元:Yahoo!ニュース

日南学園からドラフト1位でダイエーに進んだ後は、更新した全球速記録保持者である松坂大輔投手のような大活躍が期待されていました。

当初は先発としての活躍が期待されていましたが、その後にリリーフ、守護神と多くのポジションを担う投手人生となりました。

寺原隼人の日南高校時代の逸話・球速伝説

 

・日南学園入学当初から球速135キロを超えていた

・2年の夏には140キロ代、秋には147キロをマーク。

・あまりのポテンシャルの高さにキャッチャーが寺原の球を取れなかった。

・3年生の春には153キロをマーク

・3年の夏前の練習試合では当時の高校生最速である155キロをマーク

・3年の夏3回戦の日南振徳商戦では15奪三振を奪うノーヒットノーラン達成

・3年ではメジャーのスカウトを呼ぶようになる

・甲子園2回戦の玉野光南戦では体調不良ながら154キロをマークし甲子園記録更新

・甲子園大会直後に右足内転筋の肉離れと診断され日本代表の招集は断った

・ダイエーに入団した直後のキャンプでは「寺原フィーバー」が起き、10万9850人と球団史上過去最高(2002年当時)の集客を誇った。

甲子園での154キロは球場表示で、メジャースカウト持参のスピードガンでは157キロを記録していたそうです。総じてメジャーからの評価が高い球児でありました。

寺原隼人のプロでの年俸推移・通算成績

寺原投手のプロ18年間の通算成績は、

303試合の登板で73勝81敗、23セーブ、防御率3・88でした。

年俸推移では意外と1億を超えたシーズンがないという。

年俸(推定) チーム 背番号
2019年 2200万円 ヤクルト 35
2018年 4500万円 ソフトバンクホークス 20
2017年 5200万円 ソフトバンクホークス 20
2016年 6500万円 ソフトバンクホークス 20
2015年 4500万円 ソフトバンクホークス 20
2014年 8500万円 ソフトバンクホークス 20
2013年 8500万円 ソフトバンクホークス 11
2012年 8500万円 オリックス・バファローズ 20
2011年 6400万円 オリックス・バファローズ 20
2010年 6400万円 横浜ベイスターズ 24
2009年 8000万円 横浜ベイスターズ 24
2008年 6000万円 横浜ベイスターズ 24
2007年 2500万円 横浜ベイスターズ 24
2006年 2200万円 ソフトバンクホークス 20
2005年 2800万円 ソフトバンクホークス 20
2004年 3600万円 ダイエーホークス 20
2003年 3000万円 ダイエーホークス 20
2002年 1500万円 ダイエーホークス 20

やはり先発ではなくてリリーフにポジションが変わったことが年俸に影響したのでしょうか。

背番号などは若くて期待されてるのがわかるのですが・・・。

 

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